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ハンニバルが越えた峠 2 /  ブリアンソン訪問記    角田昌夫のお勧めの旅

角田昌夫お勧めの旅

ハンニバルが越えた峠
ブリアンソン訪問記(Briançon)-part2 1999年10月7日~15日

ブリアンソンの日々
 ここブリアンソンでは、ホテル「ヴォーヴァン」に1週間滞在しました。市街地の背後にはアルプスの山々が聳え、ハンニバルが越えたと言われる「モン・ジュネーブル峠」を経てイタリアのトリノに至ります。折しも10月のシーズンオフに入り、バスやケーブルは休止に入ったとのことです。一瞬お先真っ暗になりましたが、幸いにもホテルの主人「アンドレ」が毎日自分の車で峠まで連れて行ってくれました。朝10時過ぎにアンドレが休憩に入ると、彼の車で30分ほど山の上に連れて行ってくれました。車を降りた私は山道を2時間ほど歩いて、麓のホテルに戻るトレッキングを毎日楽しみました。アンドレのホテルは、この辺りでは由緒ある立派なホテルでした。フランスのホテルはシャワーが多く、旅に出て約1か月になりますがお風呂に入ったことがありませんでした。アンドレは「最高の部屋を用意していました」と、風呂付の部屋を準備してくれていました。夕食もホテルのレストランで摂り、ウェイトレスのクリスティーナとも馴染みになりました。アンドレは夕食時に顔を見せ、自分の名前を付けた特製のカクテル「アンドレ」を御馳走してくれました。いとも妙なる味に「ベースはなんですか?」と聞きましたが、「企業秘密です」との答えでした。アンドレは英語を話すので、いろいろと話題が弾みました。また彼は日本文学にも関心を持ち、川端康成の「雪国」をフランス訳で読んでいました。「あの舞台は、私の故郷ですよ」と言うと、とても喜んでくれました。

      
街の中心から、背後の山の砦が見えました。    ホテルの横を、デュランス川の支流が流れていました。


アンドレの車で背後の山へ上がると、南フランスの「ドーフィネ・アルプス」の高峰が見えました。
シーズンが終わった村には人影が見えず、住民は麓に降りたようでした。

いよいよ峠を目ざす
 さて10月14日(木)、いよいよハンニバルが越えたと言われる「モン・ジューネーブル峠」を目指す日を迎えました。幸いにも、天気は上々です。朝食後に、フロントでタクシーを頼みました。今日は、アンドレの車を頼る訳にはいきません。アンドレの友人「リシャールさん」が、愛車のルノーで迎えにきました。ヨーロッパのタクシーは、日本と違って助手席に坐ります。運転手のリシャールの隣りに坐って、いよいよ出発です。車は街の中央を走る通りに出ると、ここから急坂を一気に登ります。この道は真っ直ぐに上の街に至りますが、後日歩いてみたら息が切れるほどの急勾配でした。アルプスの麓にあるブリアンソンは、冬は大雪に埋まるはずです。冬の登りはさぞかしと、大変さが偲ばれました。さて上の街を通過すると、道はイタリア国境へと登ります。急勾配の山道を、リシャールは巧みなハンドルさばきで進みます。狭い車道に対向車が心配ですが、リシャールは前方を覗きながら車を進めます。イタリア側から荷物を運んできた大きなトラックと、時たま行き違います。前方が開けると、「モン・ジュネーブル峠」の頂上に着きました。車を停めて貰い辺りを歩くと、ナポレオンがアルプス越えをした記念碑がありました。また歴史書によれば、今を去ること2000数百年前にハンニバル一行は37頭の象を連れてスペインを出発したそうです。厳しい峠越えでたくさんの象を失ったそうですが、ともかく何頭かの象は峠を越えてイタリアに入りました。これを快挙と呼ばずにはいられません。峠の頂上でハンニバル一行を偲び、しばし感慨に耽りました。
 さて国境には検問所がありましたが、EU(ヨーロッパ連合)が出来てから空き家になっていると言うことでした。私たちも国境の検問無しで、イタリア側へ入りました。道が途端に下りになると、車は一気に走ってイタリア最初の村に入りました。リシャールに車を停めて貰い、村のカフェに入りました。マダムが迎えてくれたので、ここでは「ボン・ジョルノ!(コンニチハ)」とイタリア語で挨拶をしました。リシャールとコーヒーを飲んで、再び車に戻りました。近くのスキー場「セストリエーレ」は、先年のトリノ・オリンピックでスキー会場になりました。
再び往路を戻り、アッと言う間にフランス側へ入りホテルに戻りました。かくして念願の「ハンニバルの峠」越えを果たし、満足したブリアンソン訪問でした。因みに、タクシー代はチップ込みで約2万円だったでしょうか。それだけ払う価値がある峠越えでした。


デュランス川上流の谷から、「モン・ジュネーブル峠」を望みました。正面の山は、イタリア側の山です。手前の橋は、ルイ14世が造ったと書かれていました。
 
峠には、ナポレオンの記念碑が建っていました。車はリシャール自慢のルノー製タクシーです。峠の上には国境の検問所がありましたが、無人でした。ここから、イタリア領が始まります。


ホテルへ戻ると、赤ワインで乾杯をしました。主人のアンドレが、撮影してくれました。

 なおハンニバルが越えて峠については、諸説があります。北はグルノーブルを経由した「サン・ベルナール峠」から、南は「トラベル・セッテ峠」を越えたと言う説など議論百出です。この論争は今日でも決着が着かず、多くの書物が発行されています。私はここでは、「モン・ジュネーブル峠説」をとりました。

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